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本井英句集『八月』鑑賞
去る八月一日、本井英主宰の句集『八月』が、角川書店から角川平成俳句叢書の一冊(第十二集)として出版されました。
まことにおめでとうございます。
『八月』は、『本井英句集』『夏潮』につぐ主宰の第三句集で、一九九九(平成十一)年から二〇〇六(平成十八)年まで
八年間の三百十二句が収録されています。
それは主宰にとって、一九九八年八月に久美子夫人を亡くされた後の、二〇〇六年春の慶應義塾志木高校
退職と、
同年八月、念願の一ヶ月間の「日盛会」開催に至る期間でした。
「つねに虚子に思いを馳せて」「俳句のことだけ考えればいい生活」の中で、主宰の永年の夢がふくらんでいきます。
そして翌年八月、俳誌「夏潮」創刊が実現することになります。
「夏潮」編集部では、会員の皆様に『八月』から好きな一句を取り上げて、鑑賞をしていただくこととし、
最終の末尾では有志で座談会を行う予定にしております。
トラックに男やまもり御祭礼 英
本井英の俳句の特徴の一つは、季題の営みに対する「あはれ」を、それを「飄々」「ずけずけ」とした表現で、
生々しく描ける技術があることだと私は考えている。
『八月』では氏のその特徴が益々洗練されてきたと思う。
掲出句の季題は「祭」。
勿論、「葵祭」ではなく、「御祭礼」と呼ばれる町や里の神社の祭りだろう。
句の描かれている景は、誰もが見たことがあるもの。境内や集会所などの集合場所から神輿の出発場所へ移動する担ぎ衆。その担ぎ衆を運ぶ白い軽トラック。
中七の「やまもり」が秀逸。トラックの荷台に、「色々」な男が乗っている。
既に景気づけの一杯を済ませており、陽気で顔は赤く、意気軒昂。誠に活気のある結構な光景である。
昨今の景気後退に伴い社会問題化した「雇い止め」。
淡々と無言で送迎バスに乗る(乗せられる)労働者の姿に「人の情」を切り捨てられてしまった哀しさを感じた。その歪みの果てに、昨今の社会全体に閉塞感が漂ってしまった。
そのような中、掲出句にある「明るさ」「陽気」さに「はっと」し「ほっと」することができた。
これも「花鳥諷詠」の功徳の一つだと思う。
(祐之)
ただいまと呼ばひて独り夜長かな 英
灯がともる家々から話し声や笑い声がもれ夕食の匂いが流れてくる中、家路をたどる。
「ただいま」と言いながら鍵をあけ冷えた空気のがらんとした暗い家へ入り、明かりをつける。
「おかえりなさい」と迎えてくれる声はない。
家族がそろって暮らしていた頃は、子供を中心とした団欒があり妻との細々とした会話もあり、なかなか自分の時間がとれず、独りになれる夜の時間は貴重で待ち遠しいものであった。
夜長の季節はなおのこと、仕事がはかどる期待もあったかもしれない。
今、独りになって寂しさがつのり夜長をもてあましている。
だが一方、「呼ばひて」の言葉から、独りを受け入れ充実した夜長を過ごそう、という意気込も感じられる。
もう誰も帰つてこない秋の暮この句は「秋の暮」という季題が「もう誰も」と強く響きあって、一人の寂しさが前面に出ているように思う。
早くも暮れかかり薄暗くなった部屋で、家に刻み込まれた家族との日々を振り返り、じっとかみしめている孤独な背中がみえてくるようである。
「独り」を詠んでも、季題により違う世界が広がることが興味深く、あらためて季題の難しさ奥深さを実感させら
れた。
(さえ)
一トクラス分の早苗の届きけり 英
小石川後楽園の光圀田は、近くの小学生によって田植や稲刈りが行われているという。
掲句はこのような学習田であろうか。一トクラス分の早苗の箱が届いたのである。
昔は苗代で育てられた籾も、今は育苗箱に蒔いてビニールハウスに並べて育てられることが多い。
やがて早苗になって田植機に積まれる苗箱である。
学習田は田起しも済み、耕して水を湛えて子供たちの田植を待つばかりであった。
体育着の子供たちが列を作って畦に入って来る。
先生から注意事項が話される。
苗を渡されたはだしの子供たちは恐る恐る泥に足を入れてゆく。
あとは声を上げ泥をはね上げて田植の時が過ぎてゆく。
みんな教えられたように上手に苗を挿していった。
全員が植え終わって畦に上ると昼近い日ざしは暑く、植えた苗はまだ半ば水にかくれていた。
風が出て植えたばかりの田の面にさざ波が寄せていったであろう。
このような小さな田植にも何事もない豊作を祈らずにはいられない気持ちになった。
(伊紀子)
たのもしき空白の日々初暦 英
退職を決意なさった年の御句である。
若いころ、日程が埋まっていくのは楽しみなことだった。
初暦には、友達との食事、映画、音楽会、夏の旅の予定まで書き込み、新らしい年の始まる嬉しさに、わくわくしたものだ。
社会に出て仕事を続けているとやがて、時間は自分のものではなくなってくる。
大小の会議、急な打ち合わせ、書類の締切などが押し寄せ、かってに予定表を埋めていき、本当にやりたいことが何かもわからなくなってくる。
新年も知らないうちに占領されている。
このような網を断ち切り、時間の枠をはずし、思う存分虚子に俳句に深く迫りたいと、退職を決められたことであろう。
心に染まぬ予定の何もない新しい年、初暦がそっくり更のまま自分のものになった喜びと、さあこれからとい
う武者震いの御句と読む。
「たのもしき」とは、年齢を重ねた人に与えられた一年の、若い時とは違う重さであり、身のうちに積もっている
夢や希望の大きさである。空白は、寂しいものではなくいくらでも好きなことが描けるキャンバスとしてある。
それからの空白の日々を、英先生が、どのように俳句への情熱と様々な企画で満たしてこられたか、夏潮の読者はよくご存じのことである。
(幸代)
蝶々を保名のやうに手もて追ふ 英
「保名」が、その歌舞伎俳優にとって本興行の最後の舞台となった。
「保名」という舞踊が戦後の歌舞伎界を席巻した役者の最後の場面になるとは観客の誰もが思わなかったはずである。
昭和四十年五月、歌舞伎座六代目尾上菊五郎十七回忌追善興行でのことだった。
俳優の名は十一世市川団十郎、その人である。
この興行で団十郎は歯痛という役者らしからぬ理由で公演初日から八日間病気休演した。
「本当の病気ではあるまい」とマスコミからはたたかれた。
しかし結果的なことだが、この時は既に病魔は役者の体に迫り、それから五ヵ月後に急ぐようにして天空に昇り五十六歳の生涯を閉じた。
死に至らせたのは胃癌だった。
私は幸いにして、団十郎の「保名」を見ることができたが、体調不調からくるのか所作は重く硬かった。
劇評家からは、休演の間に代演した中村福助(現芝翫)のほうが「上等」だと言われる始末だった。
しかし安倍保名という、朝廷に仕える陰陽博士であり、知的で気品のある物狂いという役柄は女形よりも、
団十郎のような立役のほうがふさわしいと思った。
標記の一句は、私には暗い座席の先に明るい舞台が浮かび上がり、蝶々を追う団十郎を思い出させてくれた。
私が歌舞伎に一番、熱中して観劇していた頃だった。
(幸雄)
よく熟れて小諸の小山さんからトマト 英
おいしそう!
この句に出会った時、おもわずごくりと唾を飲み込んだ。
夏の暑い盛りに逗子駅からてくてく歩き、大漁旗の掲げられた英先生のお宅にたどり着く。
日盛会の一日。冷たい麦茶が用意され、午前から参加の方々が涼しい顔をして黙々と句の推敲をされていた。
掲句はその時、句会で出された一句。
小諸の小山さんは英先生と以前からお親しく、私たちも今年の日盛会をはじめ田植え、稲刈り、味噌作りと
大変お世話になっている。あたたかなおやさしい笑顔がとても印象的な方だ。
その小山さんから届いた熟トマト。
たっぷりと夏の日を浴び、お尻に筋の入ったはちきれんばかりの真っ赤なトマトに違いない。
きっと箱には、整列したトマトがびっしりと並んでいたことだろう。
「小諸の小山さんからトマト」という軽やかなリズムの心地よさ。
「オ」音と「ア」音の繰り返しが健康的な明るさを運んでくる。
さて、日盛会は句会が終わると、毎日楽しい懇親会へと続く。
実は、期待していたのです。この日、テーブルにこのトマトが出てこないかな……と。
(美保)
大地割つたり筍の金字塔 英
竹林というのは硬い土が多い。
そこから筍がほんの一、二寸顔を出した。
筍にとってこの世ヘのデビューである。それを作者は金字塔と言う。
金字塔にはピラミッドという意味と不滅の業績の意味があることを知った。
確かにピラミッドの頂点のようにも思えるし、一大事を成し遂げた達成感も表現されている。
二つの意味が重なり合っているようにも思える。
植物は皆大地を割って芽を出すが、金字塔という珠のような比喩が当てはまるのは筍だけであろう。
この言葉が授かって句も燦然と輝きだす。
今までこのような賛辞をもらった筍はあったろうか。言葉を縦横無尽に駆使する作者の真骨頂である。
ところで、筍掘りの名人というのは大地の盛り上がりやほんの少しの罅で筍の在り処が分かるという。
そしてそのぐらいのときが筍としては一番やわらかくて美味しいのだという。
大地割ったりという句またがりのゆっくりしたリズムから見えない部分の筍の大きさまで想像できるようだ。
『八月』は豊かな詩嚢がちりばめられた句集であるが、
山畑の茄子も胡瓜も優良児
草棉の実が綿ばつてゐたりけり
筍の句と同様にこうしたユーモアに満ちた自然賛歌の句は読者を大いに明るく前向きにしてくれる。
(美恵子)
その後も負けを深めて敗戦忌 英
「その後」と言うのはアジア・太平洋戦争のどの時点を指しているのであろう。
ミッドウェイか、ガダルカナルか、それともサイパンか。
いずれにせよあの戦争では日本が緒戦の勝利以降ほとんど一方的に負け続けたのは事実。
本に書けば数巻にもなる戦史を十七文字で総括し、俳句の省略ここに極まれり、という感じがする句である。
昭和二十年生まれの英先生はもとより戦争体験はお持ちではない。
しかし我々が子供の頃は両親を始め周りの大人は皆戦争体験者であり、彼らから戦争の話を聞くことも多
かった。
我々は「戦争を知らない子供達」ではあったが同時に戦争の傷跡がいたる所に残っていた時代、
戦争の記憶が生々しかった時代の子供達であった。
掲句に深い詠嘆がにじむのは、そのような時代を反映しているからではないだろうか。
掲句は三橋敏雄の「あやまちはくりかえします秋の暮」とどこか通底した響きがある。
敏雄は自句についてのインタビュー記事で「戦争体験者として、
生きているうちに、戦争の真実の一端なりと俳句に残しておきたい。
単に戦争反対という言い方ではなく、ずしりと来るような戦争俳句として。」と述べている。
掲句は声高な反戦句ではないが、ずしりと来る哀歌であり、挽歌である。
(基)
Give me a chocolate !
食積の重に夕日のさしわたり 英
食積とは新年賀客供応のために組み重などに料理を詰め置くものをいう。
いわゆるおせち料理。各家庭により味付けもさまざまで代々受け継がれる「家庭の味」である。
筆者も幼い時に母に教わりながら栗きんとんを作ったものだった。
母が何日もかけて煮た黒豆のふっくらつやつやと美しかったことを思い出す。
さて掲句。
季題は「食積」。
新年を寿ぐために娘達が里帰りをした、そんな折の句と想像したい。
年賀状を整理していると春着を着た娘達が正午過ぎに到着。
皆で食卓に着き父らしく新年が健やかな一年であるように等述べ、乾杯。
賑やかにおせち料理をいただき、家族の時間は穏やかに過ぎていく。
年酒を酌みいい気分になった父はついついサンルームのソファーでうたた寝。
娘達はそんな父に毛布をかけてやり姉妹のひと時を過ごす。
最近いい人いるの?
とか父がいてはできない話等。
しばらくして父が目覚めると、
皆でつまみ空間のできた重がそのままに残され、部屋中に、食卓に、食積の重にまで夕日が射している。
「さしわたり」という表現が、一月の陽の低さ、ゆったりとした正月の一日、
いずれ帰ってしまう娘達を思う父の気持ちまで感じさせる。
朝日ではなく夕日であることが、この句を時間的にも空間的にも一層深みのあるものとしている。
(いづみ)
くつろいで髭もそよろと油虫 英
ごきぶりや幾万年をただ逃げて
ごきぶりの世や王もなく臣もなく
ごきぶりに雨また雨の窓あかり
夏の季題、「油虫、ごきぶり」。
彼らの天敵はおそらく「主婦」。娘時代はただ「キャー」と逃げ回っていれば良かったが、
台所を預かる身となってからはそうもいってはいられない。
徹底的に追いかけ、駆除する。
ただ、不衛生だからという理由ばかりではなく、何か彼らに対して憎悪を抱かせる因縁のようなものが、
主婦のDNAにはあるようだ。
結果、彼らは「幾万年をただ逃げて」しまうことになったのだろう。
しかし、そんな嫌われものに対して、作者の視線はじつに温かい。
じっとして時々長い触角を動かしている様子が、「くつろいで」いるようだと詠じている。
おなじ地球上に生きている物同士そんなに憎まなくてもと言っているようだ。
彼らには彼らの時間があり、命があり、
我々には羨ましいような「王もなく臣もなく」権力とは無縁の世界があるのだからと。
季題の在り様を写生する時、作者の心持ちもありのままにあらわれるのである。
私と彼らの戦いはこれからも続くに違いない、そのたびに掲句が頭の片隅を掠め、胸がチクリと痛むだろう。
(和子)
反魂香ならずおでんを一人煮る 英
反魂香:って何、私は知らずに広辞苑を引いてみました。
反魂香:(漢の武帝が李夫人の死後、香をたいて、その面影を見たという故事から)
たけば死者を煙の中に現すという香。
ふーんそうなのかと、そして改めてこの御句を鑑賞させていただきました。
季題はおでん。
夫婦の愛、家族の愛などというものは、おでんのなかの大根に、ゆっくりと味が染み渡っていくように、
家族という鍋の中で、時間を掛けてぐつぐつことこと煮込んでいくようなものではないのでしょうか。
だからこの句は冷え切った体を芯から温めてくれる、おでんなのです。
湯気の揺らめく中に、娘等の華やいだ笑い声、愛しい妻の笑顔。
浮かんだと思えば淡い一瞬の幻。温まるはずのおでんを煮ても一人、心の氷は融けてはくれない。
反魂香ならず、竜宮城の玉手箱ならず、マッチ売りの少女ならず、なのです。
そして、家族があれば、伴侶がおれば、老いて一人となれば、
誰にもこんな時が来るであろうと、身につまされてくるのです。
妻恋の御句であるが、めそめそした言葉は一つもなく、それでいて、やりきれない寂しさが、
読後にどっと津波のようにおしよせてくるのでした。
(光代)
炎天のかむさるばかり無言館 英
まずありて「無言館」の重きかなしみ(武井美栄子)と語りかけてくる、戦没画学生慰霊美術館「無言館」が、
上田市山王山の小高い丘の頂きに、アルプス連峰を背にしながらひそやかに立っている。
太平洋戦争のかげで、志半ばで戦死した若い画学生の鎮魂の絵と遺品三百余点が展示されている。
「あと五分、あと十分、この絵を描きつづけていたい。外では出征の小旗がふられていた。
生きて帰ってきたら、必ずこの絵の続きを描くから……、と言い残して戦地に発った。
(日高安典)」愛する恋人、妻、家族を残して、
生還ののぞみの薄い征途についた純粋な若者達の心情を思うと、無念の声がひしひしと胸に迫ってくる。
語りかけてくるこの万感の情が「炎天のかむさるばかり」の簡潔な表現の中に凝縮されており、
「無言館」の存在を結句でどっしりとすえられた表現の妙に感銘を受けた。
思えば自分より一年上級生までが次々に徴兵され、一年の差で戦争体験のない身となったが、
今この句に出遇い、改めて戦争に散っていった人々を偲び、感無量である。
十年程前に訪れた時、からからに乾涸びた絵の具が、パレットにこびりついていた光景が心に焼きついて離れない。
(糸白)
八月や死なれし話死ぬる話 英
「話」という少し距離を置いた表現から、耳を傾けられた他の人の話なのか、
それとも奥様始め大切な方々を亡くされたご自身の話をされているのか定かではないが、
いずれにしても「死なれし話死ぬ話」との軽いリフレインではなく
「死ぬる話」と下五を下六の字余りとされたところが眼目と思われ、しみじみとした余韻の残るお句である。
また死が話題のこの句に「八月」は動かない季題と思う。
朝夜は秋の気配も感じられるが太陽が照りつけ一番暑い頃、
厳しい時候には訃報もあり更に原爆や敗戦という不幸なできごとのあった月でもある。
「八月」という厳しい凛とした響きの内には淋しさや悲しさも漂う。
このような「八月」と「死なれし話死ぬる話」のリフレインの詠いぶりとが響き合い詩情がほどよく醸し出されている。
英先生の「八月」への特別な思いとも合わせこのお句に「八月」の季題は動きえない。
掲出句のように同じ言葉などを繰り返すリフレイン技法の巧みさは英先生俳句の特色のひとつに上げられる。
リフレインにより感動を何気なく強調され、また焦点を明確にし表現を単純化して的確な写生句や叙情句とされている。
第三句集『八月』の中でも擬態語を含めると三十句近くの畳句が載せられているが
どれも真摯な写生の姿勢から成されたもので、だからこそ心に響くお句と拝察申し上げる。
(なな)
紀の神の摘みあげたる春の山 英
紀の国は、神々の
坐
(
イマ
)
す国である。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山をはじめ、多くの古社が鎮座して八百万の神々の
坐
(
マ
)
します国である。
紀の国は、また、木の国である。
重畳と山なみを連ね、深い山々は霧を生み、雲を呼び、雨を降らせ、木を育てる。
その大きな自然の営みは神そのものの存在をそのまま表わしているといえよう。
さて、なんだかもっともらしいことを書きはじめてしまったが、揚句は軽妙である。
紀の国に鎮座する神が、ひょいと摘まみ上げたかのような一つの山。
重なり連なる山々を眺めていた作者は、ある一つの山に目がとまった。
その山の姿が作者の詩ごころをくすぐり、ふわりと春の雲のように浮かんだ一句であろう。
紀の国の神の、春のうららかさに誘われての遊びごころと、作者の春風とともにある詩ごころとがぴったりと一つになっている。
紀の国は、いま春の気が満ちて、木々は芽吹き花は
咲
(
ワラ
)
い風のそよぎの遠くに海が光る。
(竟二)
春塵の机を拭いて退職す 英
季題は「春塵」。霜や雪の季節が終り、徐々に地表が乾燥してくると春の強風が吹き砂埃が舞い上がるそんな頃、
作者は三十五年間勤めあげた慶應義塾志木高校を退職された。
その時の様子を詠んだ一句です。
卒業生を送り出し、終業式も済ませ深閑とした校舎、グランドには部活の練習に励む生徒達がいます。
職員室のガラス越しに軟らかい春の日が射し込む教師生活最後の日、
作者は健康で無事にこの日を迎えられた事の安堵と喜び、又一沫の淋しさも感じ、
新しく始まる「俳句のことだけを考えればいい生活」に心を膨らませ、
感謝の気持ちを込めてなれ親しんだ机を拭いたと思います。
それは虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」に通じる境地と思われます。
「机を拭いて退職す」と言い切った所に、時間の経過を感じさせ、
春塵という季題の取り合わせが広い世界を作り上げています。
この句を読ませていただき、退職の日、大きな花束を照れくさそうに抱え、
ただいまと玄関を開けた時の少し淋しそうな夫の姿を改めて思い出しました。
照る日もあれば、雨の日もあるように楽しい事、辛い事などいろいろあったと思いますが、
作者は「脳裏を過ぎる思い出は楽しいものばかりだ」と振り返り、俳人としてご活躍の日々を送られています。
(作子)
校門をごろごろ閉ぢて秋の風 英
何年か前の初見の時から覚えていた句であり、この度の句集に収められた一句である。
昨今は昔とちがって校門が広い。
その広い校門の鉄柵の重い扉に身体をあずけて、目を落としながらごろごろと押してゆく。
やがてガチャっと校門は閉じる。
鍵をかける。
空を見る。暮れ早い残光が消えかけている秋の暮。
よく晴れた快い一日であった。
充実感が溢れつつどこか虚しさの隠見する句である。
教職が天職のような作者の情熱、活動、指導的能力など余すところなく躍動した一日であった。
生徒の笑い声、怒り、惑い、悩みなどが束の間消えて、グランドの埃もしずもった広い校庭。
やがて星降る大きな闇が校舎全体を包むであろう静寂までみてとれる。
春の宵でなく、秋の暮である。
季題が動かない。
中七の「ごろごろ閉ぢて」が生き生きとしていて、昼間の動と夜の静を表してをり、
「秋の暮」が作者の暮らしの一端のみならず、その人物像までを描きだしている。
奥行きの深い一句となっている。
句集同ページの もう誰も帰つてこない秋の暮 英
と共に惹かれる句である。
(桂子)
決意とはしづかなるもの榾火燃ゆ 英
本井英句集『八月』掉尾を飾る一句である。たまたまこの句が巻末に置かれた、とは考えられない。
この句集を締めくくるに当たっての、著者の或る強い思いがこの句をあるべきところに据えた、と直感される。
榾火がちろちろと燃えている。自宅であろうか。
或は著者の愛する石の湯ロッジであろうか。
榾火はしづかに燃えつづけている。著者はその前に置かれた木椅子に腰かけて
頬杖をついて榾火の燃えているさまを見つめている。
わが人生の来し方行く末への思いが脳裡を過ぎってゆく。
その思いは、私生活面でのさまざまな出来事から、やがて、俳業についてのさまざまな出来事への思いに移ってゆく。
また、その思いはライフワークである虚子研究についての推移へと及んでゆき、それらの思いは、
やがて或る強い「決意」へとまとまっていくように思われたのである。
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
になぞらえるのは僭越であろうか。
しかし、虚子の「闘志」にもつながるような或る強い「決意」。
その決意を以てこの句集を締めくくり、明日からのバネとするべく据えられた一句である。
著者還暦を過ぎた今。
与えられた天寿ははかるべくもないが、それまでに成すべき句業、虚子研究、への強い思いがこもった一句。
(露井)
羽子板に江戸の舞台のあれやこれ 英
英さんにしては珍しい句材、といっても「羽子板」ではない。
「江戸の舞台」、即ち芝居である。多趣味でモダンな伊達
者
(
しゃ
)
風、和服の着こなしも又一段、
今では余り見掛けぬ二重回し俗にいうトンビも小粋に羽織ったりする。
なれば当然芝居を詠んでも何の不思議がないはず、連句ならば然もあらん、
なれど発句否俳句、愚生迂闊にも見逃していたのかも。
集中もう一句芝居吟あり。舞踊の名曲清元「保名」に因んだ、
蝶々を保名のやうに手もて追ふ
別名〈小袖物狂〉というごとく、艶やかな狂いの一瞬を蝶追う手の動きで鮮やかに詠むが、些か玄人好みか。
ところが掲出句、知らぬ者なき「羽子板」、遊戯具のそれに非ず。
床飾り若しくは女児初正月の贈物の押絵「羽子板」、豪華な絵柄、多くは芝居役者の似顔や人気狂言当り
役等々、
譬えば、
羽子板やばれんみだるる纏かな 万太郎
梅幸の羽子板艶を失はず 虚吼
羽子板や母が贔屓の歌右衛門 風生
の類が下五の「あれやこれ」に相当する。
が、どうも新年の「羽子板」ではなさそう。
小屋掛けの仮店に所狭しと飾られた押絵羽子板、燈入るに従い賑う人出、彼方此方で手締めの声が……。
年の瀬羽子板市の景であるらしい。
(等閑)
台風の夜の室内プールかな 英
「最近、プールに通っているんだ」
「健康に気を遣う歳になったという事かい」
「肩が凝ったり、腰が痛くなったりして、少し自分で体を動かそうと思ってさ。
最初は余り面白いとも思わなかったんだけど、ゆっくり長く泳ぐという泳法を身につけてね」
「面白くなったのかい」
「いやぁ、なかなか奥が深いんだ。手足をばたつかせない、ゆっくりとしたクロールでね。水の中を滑る感じさ。余計な力を抜いて、効率よく、長く泳ぐんだ。
水と自分の体と、無駄のない動きに集中しているうちに、頭が空っぽになって、妙にリラックスするんだ」
「瞑想のような感じかな」
「うん、近いかも。泳いだ後の精神状態がすごくすっきりする。
だから、定期的に泳ぎに行っていないと、心の調子が保てない」
「晴れても降ってもプール通い。嵐が来てもかい」
「この間の台風の夜。プールで泳いでいる内に、暴風雨が通り過ぎて行ったよ」
「こっちは窓ガラスのがたつく音を聞きながら、勇み立つ気持ちで家にこもっていて、肩が凝っちゃった」
(荘吉)
推参の青大将も日を讃ふ 英
英先生の第三句集『八月』では実に多くの生きものが詠まれている。
ざっと数えても六十七種、寒鴉・翡翠・蛇・鴨・兎・蝌蚪・ごきぶり・芋虫・舟虫・鯊・蜂・とかげ・蛍・蜻蛉・鯰・鵙・
凍蝶・目高・ゐもり等々。
それらの生きもの達は、観察の対象となっているばかりではなく、作者に寄り添っているようにさえ思われる。
作者は花鳥一切と一体化して、マルティン・ブーバーの言うところの「我と汝」の関係であり、決して「我とそれ」では有り得ない。
もしかしたらこの世とあの世の境も消えているのではなかろうかと感じられる。
推参の青大将も日を讃ふ
山路か野路か苑の一画か、青大将がまかり出て、おだやかな日ざしに身を横たえてしばらくはその温みを楽しんでいる。
千葉の鋸山で、鎌倉の名越切通しで私もそんな景に出合ったことがある。
どちらも私一人蛇一匹であったが、それほど怖いとも思わなかったのが自分自身にも不思議な気がする。
生きもの同志そんな雰囲気だったろうか。
英先生はよく六道輪廻について言及されるが、それは生まれかわり死にかわる仏教思想であるらしい。
六道珍皇寺、小野篁も偲ばれる。
私は煉獄に心を遊ばせつゝ、『八月』を楽しませていただいている。
(照子)
みんみんのびいんびいんと間近なる 英
季題は「みんみん」。みんみん蝉のこと。
その鳴き声はふつう、「みーんみんみん」と聞こえる。
だから「みんみん」。
夏の暑い日の盛り、作者はそれを聞きとめた。
つくづく「みんみん」と鳴くことよ、と聴いていたのだろう。
そのうち、つと鳴き出した一つは「びいんびいん」と作者に直にひびくように鳴いたというのである。
その発見の驚き、嬉しさ。擬音の楽しさ。さらに、作者はその声を「間近なる」と認識する。
この措辞はただ「びいんびいん」をリアルに聞かせるだけでなく、
間遠なる「みーんみんみん」をかすかにもさだかに聞かせてくれる。
それぞれ遠く近くにあって、重なるようで重ならない別々の声。
英先生はオノマトペの名人だが、それは、それを活かす名人だということであろう。
寒木瓜の蕾むむむと赤きかな 英(『夏潮』)
公魚のまたぱらぱらと釣れにけり 英(『夏潮』)
残雪や雨にぐつしより濡れながら 英(『八月』)
翡翠のぷうんと渡る水の上 英(『八月』)
電灯のゆらりと暗み雪おこし 英(『八月』)
校門をごろごろ閉ぢて秋の暮 英(『八月』)
蘖をさらさら断てり山刀 英(『八月』)
オノマトペを活かすとは、結局、季題を活かすことだ。
(貴之)
蜩になら生まれてもいいと言ふ 英
今度生まれかわるなら……というのは男と女の間でよく交わされる不幸せ系の話だけれど、
鳥とか花ならともかく、蝉、それも蜩に生まれたいとは意表をついている。
しかも、蜩に「なら」とダメを押しているのだ。
それ以外のものなら生まれてもしょうがない、と。
これを言われたら男性は、そのはかなさと悲しさに沈黙するしかないだろう。
日の出や日没前後の薄明時に聞こえる、透明感のある物悲しい鳴き声(もっとも、鳴くのはオスだが)を思えば、
季題は寸分動かない。
平成十六年八月十六日の午後、この句が記された清記用紙が回ってきたときに頭をよぎったのは
午前中の句「かこはれて大文字拝むこともなく」だった。
同じことを思った参加者が他にもいたことは後でわかったが、披講時の名乗りを聞くと、
果たせるかな午前中の「かこはれて」と同じ作者だった。
一対の俳句による哀しい物語。
この句に限らず、句集『八月』のどの句をとっても、作者のことばを借りれば「季題からの発想」ならざるものはない。
そして、季題からの発想であるということは同時に、これまたことばを借りれば「類句の沼」にもがきながら、
その果てに詩として結実したものを私たちは読むことができるということでもあるのだ。
(薮柑子)
日本の八月六日晴れわたり 英
句集『八月』の後書に句集名を『八月』とした経緯が記されている。
それは、誕生月、愛する伴侶との別れの聖母被昇天月、敗戦月、「夏潮」創刊月、
など重なる思いからの発露であろうか。
味わうべき掲句の感想は、私には心抉られる特別な句として受け止めさせていただいた。
六日、九日、十五日、はまさに「日本の」であり、他では無い。
心抉られるのは、私も九日の長崎での被爆者であり、四人の兄姉を瞬時に失った者だからである。
何時もこの日について問いつづけていて、決して生有るかぎり終わることはないだろう。
「晴れわたり」は、六日に留まらず、原爆の「真空」、八月の「真空」、日本の「真空」の「晴れわたり」であり、
途轍もない「真空」である。
何も其処に差し挟む余地等無く、ひたすら、真空の意味するものを探すのみである。
「晴れわたり」には、すべてに於ける希求があり、其処に引かれ、吸い込まれる巨大な「真空」が横たわる。
作者が見、感じた八月六日は、句集での「八月六日」には収まりきれない「晴れわたり」であり、
また普遍的八月六日と結ばれるものとしての「晴れわたり」といえないだろうか。
本来晴れわたる事は晴れがましい事である。
しかし、この「晴れわたり」は途轍もない真空と啓示へ私を誘う……日本の八月六日である。
(照男)