10月号, 2010
くちなはや舟虫づれに目もくれず 和子
季題は「くちなは」、「蛇」の傍題である。
近時、雑詠欄で「蛇」の句ばかり採っているようで、やや気が引けるが、特に「蛇」が好きになった訳ではない。
強いて言えば、この春、逗子の家の庭に開いたささやかな「ビオトープ」にまことに小さな蛇が住みついて、その姿を見る機会が増えたので、やや親近感を抱いているというところか。
小蛇(名はスネ子)と知り合いになってみると、今日は食い物にありつけただろうか、とか、悪逆の烏どもに見つかって、嬲り殺しの憂き目に遭ってはいないだろうかと気になる。
さて一句の表現の手柄は「舟虫づれ」。
小学館の『日本国語大辞典』には接尾語「づれ(連)」の第二項に「名詞について、たかだかその仲間である意を添えて、さげすんだり、自らへりくだったりして用いる」とあり、「足軽づれ」、「平民づれ」などの用語例が示される。
まさにこの用例がピッタリで、これによって「蛇」のやや鷹揚な様子までが見えてくる。
実際の「蛇」の事情は分からないが、作者が見た限り、その場での「蛇」は近くでうろうろする「舟虫」を捕食する素振りすら見せずに悠然としておったのである。
9月号, 2010
教へられ見てしまひけり泳ぐ蛇 美津子
季題は「蛇」。
「蛇」については本誌七月号の本欄に縷々記したので、繰り返さない。
それにしても「蛇」を嫌う人のなんと多いことか。
作者もそのお一人とお見受けする。
何人かで古城の堀端でも散策していたのであろうか。
場所はどこでもよい。沼でもよいし池でもよい。
仲間の一人が蛇の泳ぐ姿を発見して、それを同行に教えたのだ。
作者は蛇は恐い方なのだが、それと言われて水面を見やってしまったために、うねうねと水面を辷るその姿を「見てしまった」のだ。
一句の眼目は、この「見てしまふ」ところ。
見てしまって、今さらながら、恐いとも思い、見なければ良かったとも後悔している。
「恐いもの見たさ」という言葉が世の中にはあるが、この句などそんな不思議な心理をも我々に示してくれている。
8月号, 2010
朝の月白し明日は復活祭 光代
季題は「復活祭」。
キリスト教の行事で、春分の後の最初の満月の直後の日曜日にあたり、「イースター」ともいう。
したがって何月何日という定めがなく、毎年異なるが少なくとも三月二十一日前後の春分の日から一月の間のどこかではある。
キリスト教の信者は「御復活」などとも呼んでクリスマスなどより信仰的には大切な日ということになっている。
つまりキリストによる「死からの復活」がすべての人にとっても「永遠の命」の証になっているからだという。
一句はそんな復活祭の前日、朝空にかかっている白々とした月をみながら、ふと「明日は復活祭」であることに想到したというのだ。
冒頭にも触れたように、復活祭は必ず満月の直後、すくなくとも一週間以内の行事であってみれば、早朝の西空には、それほど欠けていない有明月が浮かんでいなければならない。
一見理に落ちた句と感ずる向きもあろうが、そうではない。
その早朝の澄みきった心持ちを伝えている点、おそらく復活祭の句として前例をみない句であろう。
実感がありながら、さらに「信仰」の問題も心の奥の微妙なものとしてみえてくる。
7月号, 2010
蛇消えし辺りを妻の帰りきぬ 照男
季題は「蛇」。
「ながむし」、「くちなは」という傍題もある。
「青大将」、「赤棟蛇」という種類の名前でも傍題に準ずる扱いは出来ると思う。
ところで「蛇」ほど人々の好き嫌いのはっきりしている動物は無いかもしれない。
とは言え「好き」は少数派。
ほとんどの人は「蛇」が苦手なようだ。
しかし一方、神話や伝説では、すこぶる人気者。さまざまな姿で登場する。
これは西洋の話だが、エデンの園のアダムとイブをそそのかした「蛇」は印象的だ。
あの話では「蛇」は悪魔のように語られる。
キリスト教は「蛇」を敵視する傾向が強く、アイルランドの聖パトリックにいたっては「蛇」を一匹のこらずアイルランドの地から追い出してしまったという。
「絶滅危惧種を救おう」などという価値観はまったく無かった時代だ。
この話はおそらく往時ヨーロッパ全域にあったケルトの多神教的価値観を「絶滅」させた象徴で、征服者が在来の地主神を圧伏した例え話として考えていいだろう。
わが国で言えば、高天原を追い出された素戔鳴尊が出雲国で八岐大蛇を退治し、その尾から出現した天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を姉の天照大神に献上する話は、大和と共に半島から渡来した征服者、出雲が先住民(縄文人)を征服して、さらに奪取した土地を大和に献上(あるいはさらに奪取された)した話と考えて、大きな間違いは無い。
このことは先住民であった縄文人の土器に「蛇」が好んでデザインされていることと無縁ではないだろう。
さらにその出雲陣営中の徹底抗戦派であった建御名方神が縄文派の本拠地信濃と同盟を結んで最後まで大和に抵抗する雄姿は、「御柱祭」として現在に存続している。
昔、若い友人の一人が、「蛇はいつも逃げて行くからまだ良いけど、あれが向かって来たらこわいでしょうね」と言ったことがある。
それこそが蛇の最大の特徴で、基本的には「逃げる」、つまり被征服者なのだ。
でも本当に困れば「咬む」。
咬むことすら忘れた敗者は惨めだ。
閑話休題。さて掲出句、ご夫婦で旅にでも出られたのか。
ご自宅での話ではない。宿の近くを散策していて、奥様はさらに道の先へと進まれ、作者はその辺に留まっていたのであろう。
ふと草むらを見ると「蛇」がおり、作者の気配を知って、面倒臭そうに十メートルほど先の草むらに消えた。
その消えた辺りから「蛇嫌い」な奥様が帰って来られたのだ。
「蛇」というものは視界から消えても、不思議とその存在感は残るもので、それは「蛇逃げて我を見し眼の草に残る 虚子」で証明済みだ。
作者は「はらはら」しながら奥様の足もと辺りの草むらに注意を向けている。
6月号, 2010
春の風明日は忘るる今日のこと ミチ
季題は「春の風」。
「春風」の傍題である。ときにはそうでないこともあろうが、おおむね優しく穏やかに吹き渡るものである。
「春風駘蕩」という言葉もある、「のんびり」とした感じが「春の風」の本情ということになろうか。
さて、この句では中七が大いに語る。
「明日は忘るる」・「今日のこと」。
作者は「今日」という時点で、「明日」のことをを想像しているのである。
したがって普通なら推量の言葉で表現するのが穏当で、「明日は忘れむ」・「今日のこと」となり、その場合何らかの原因で記憶力の低下した人物を想像することになろう。
ところがこの句にはその推量の表現が無い。「忘るる」ことにもう決まっている、あるいは決めてあるのだ。
そうなって来ると、一句の解釈は大分違ってきて、そこには「ある生き方」すら見えてくる。
「過去のことを振り返らない」という強靱な意志。
これは同時に「未来のことを思い悩まない」という勇気をも伴っている。
人間若い時分に、これでは困る。大いに過去を振り返って反省し、その反省の上に立って、人間性を高める義務がある。
また未来についても大いに慮って、それに備えなければなるまい。
しかし、ある年齢を越えると、このことがかえって仇になる。
われわれ大人は「過去」を悔やみ、「未来」を恐るるあまり、肝腎の「現在」を疎かに生きてしまってはいないか。
昨日の失敗を思い出すにつけ、眼前の景色がまったく色褪せて詰まらないものに見えたり、一方、明日の不安のために、いま食べているご馳走がまったく美味しいと思えなくなる。
他人から見れば馬鹿馬鹿しいようだが、本人にしてみれば至極当然だ。
しかし、それならいっそ、この作者のように、今日のことだけを考えて生きて行くのも賢い方法と言えるのではないか。
句を評する場合、作者名に頼った解釈をすることは慎まねばならない。
しかし、時には「この作者ならでは」の感を深める場合もあろう。
この句の場合、作者名を合わせて味わう時、作者の歩んで来られた九十二年の苦難と喜び、そして坦々と悠々と過ごしておられる日常がこの句をより深いものとしてくれよう。
人生の達人の、われわれ後進に示した一句として大切にしたい。
5月号, 2010
ハイヤーの止まりて聖樹映りけり 桂子
季題は「聖樹」。
「クリスマス」の傍題として考えていいだろう。
ただし『ホトトギス新歳時記』の「クリスマス」の項には「降誕祭」、「聖誕節」が傍題とされていて、「クリスマス・ツリー(聖樹)」は解説に出てくるものの、明朝体で記されているため傍題とはなっていないことになる(解説文中の語でも書体がゴチックの場合は傍題となる)。
この句の解釈に関しては「ハイヤー」が眼目。
語源的に詳しいことは判らないが、現今の一般的な理解では「ハイヤー」といえば時間や月日単位で借り上げる高級乗用車、多くの場合黒塗り。
これに対立的な語としては「タクシー」があり、こちらは乗車した分だけ運賃を支払う仕組み。
車の色もさまざまだし、町の中を「流し」ていたりして、やや庶民的な乗り物ということになろう。
そこで一句の情景は、きちっと洗い上げられた黒塗りの高級車がゆっくりと建物の前に現れて、「止ま」った瞬間ということになる。
車寄せに静止した車のボディーに「聖樹」の電飾がチカチカと映ったのだ。
都会の真ん中のホテルかどこかであろう。
ドアボーイが車に近づいて行く笑顔までが想像される。その夜はクリスマス・イブか。
4月号, 2010
芍薬の芽の鉗めるに雨の糸 貴之
季題は「芍薬の芽」。
薬は薬草として渡来したもの。
牡丹に似て牡丹よりやや遅れて咲く。
牡丹は木だが、芍薬は草。
「鉗む」は「つぐむ」。口を閉じてものを言わないの謂い。
四月頃になると芍薬の畝からは紅紫色の芽が一斉に顔を出す。
こつんとした芽はやがてわらわらとほぐれ、ぐんぐんと背丈を伸ばし始める。
一句はそんな芍薬の芽に春の雨がさらさら降りかかっている情景を写生したもの。
「芽の鉗めるに」の措辞が適切なために景がきちっと立って見える。
芽の堅い状態を「鉗む」という動詞で表現したところも当を得ているが、それ以上に「鉗みをる芽に」としなかった処も工夫の跡がある。
すこし考えてみよう。
「鉗みをる芽に」では表現が「遅い」のだ。
つまり「芍薬の」と詠いだして、「鉗みをる」と続けた場合、「芍薬」は一旦「宙ぶらりん」の場所に置かれる。
さらに「芽」の言葉が出るに至って、はじめて「芍薬の芽」即ち「鉗みをる芽」が並行的に表現され、下五を待つ形となる。
それに対して「芍薬の」に「芽の」と続いた場合は連体修飾には違いないが「早い」。
というより「芍薬の芽」はむしろ一語だ。
少なくとも読者の脳裏には「芍薬の芽」が瞬時に写し出される。
しかる後に「鉗める」と言って情報を部分修正させるのである。
俳句を「滑稽・挨拶・即興」と定義したのは山本健吉であった。
山本は和歌一首がゆっくり朗詠されながら読者に伝わって行くのに比べて、俳句が殆ど瞬間的に読者に読み取られる点に注目した。
それが山本の俳句理解の基本にあった。
そうなると俳句の「語順」はあまり重大な問題ではないことになってくる。
しかし掲出句などを見るとそうでないことが分かるだろう。
たった十七音でも頭に入ってくる言葉の順序で一句の姿はまるで変わってくるのだ。
3月号, 2010
ぼつてりと革手袋の置かれある 美穂
季題は「皮手袋」。「手袋」の傍題である。
材質としては他に毛糸やメリヤスがある。
革製の手袋にも、よく鞣された薄手のものから分厚く頑丈に作られたものまで、いろいろあり、掲出句の手袋は後者であろう。
表現的には「置かれある」が大切で、こう言うことによって、「その手袋」が作者の物でないことが判る。
誰か知らぬ他人の意志によって、おそらく分厚く、重ねられて「置かれて」あるのだ。
しかも、さまざまの持ち物の中で、たとえば「携帯電話」とか「財布」とか「マフラー」に比べて、圧倒的に持
ち主の肉体を感じさせるのが「手袋」である。
さてここまで確認して「ぼつてり」を味わってみると、一句の世界が「匂って」くる。
軽い不快感、あるいは違和感なのだと思う。
「ぽつてり」ではない「ぼつてり」なのだ。
前者は可愛らしさ・好感を伴うが、後者は鈍重さ・不快感を伴う。
おそらく男物の、革の匂いのきつい、使い込んでやや古びた手袋。
男の匂いのしてきそうな手袋。
そう思ってよく味わってみれば第一音節の「ぼ」が上品な音でない。
元来漢語、外来語以外の日本語で「濁音」から始まる言葉は美しくないのだ。
ここで気をつけなければならないのは、作者は手袋の不愉快なようすを頭で認識して、その表現として「ぼつてり」という言葉を選んだのではないということだ。
作者には「手袋」が「ぼつてり」と見えただけなのだ。
認識が先行して表現があとから塗りつけられたのではない。
作者自身「ぼつてり」と見えたことが、心の奥底の「不快感・違和感」のなせる業であったことにすら気づいていないかもしれない。
ここにこそ客観写生の態度が心の深層の主観を招きあげるメカニズムがある。
俳句は「感じ」を「言葉という道具」で表現するのではない。
自然に湧き上がった「言葉」が「感じ」を引き摺ってくるのである。
2月号, 2010
玄関の脇に洋室椎の秋 和子
季題は「椎の秋」で「椎の実」の傍題。
他には「落椎」、「椎拾ふ」がある。
椎にはツブラジイとスダジイがあるがツブラジイは殊に美味とされている。
我々が昔、家の近くの木立で拾って食べたのはおそらくスダジイであったと思われるが、それでも美味かった。
母が炮烙で煎ってくれれば最高だが、生でもよく口にしたものだ。
そんな「椎の実」が豊かに注がれる頃の楽しい気分を反映したのが「椎の秋」。楽しい季題だ。
掲出句はそんな椎の大樹を敷地の中に抱えているような家。
かといって江戸時代からのお屋敷というのではない。
東京かその郊外にある古い住宅地。
和洋折衷といっても洋風なのは「玄関の脇」の応接間だけ。
そこだけが縦長の窓を持つ洋間で煉瓦を組み上げたマントルピースもある。
客人との応対は洋間で、それ以外の生活は畳敷きの茶の間があり、座敷も別にあるのだ。
そんな家が平成になっても気をつけて探せばなくはない。
一句の狙いはそんな「昔、なつかしい家構」に出会った作者の喜びと、丁度そんな頃とて、
惜しげもなく実を撒き始めた「椎」への讃歌である。
1月号, 2010
秋の水引つ張り合つて波のなし 竟二
季題は「秋の水」。
傍題に「秋水」があるが、「訓読み」と「音読み」では一寸気分が異なる。
さらに「水澄む」という秋の季題もある。
掲出句、「秋の水」というばかりで、その「水」の具体的な姿は提示していない。
海なのか沼なのか、あるいは川なのか、はたまたコップに満たされた「水」か。
作者の狙いは、ある意味ではそこにある。
海とか沼とか具体的な地形など周辺的な情報を遮断することで、「秋の水」に焦点を当てようとしているのである。
「水平」という言葉があるが、全く傾きも、ゆがみも無い「水面」。
それを写生していたら「水」が真横へ「引つ張り合つて」、
その結果「水平面」をなしているように作者には見えたのである。
なるほどそういわれてみると、水面の持っている緊張感のようなものが読者にも見えてくる。
「春の水」とは違う清冽な感じも表現できた。
12月号, 2009
後ろ手をついて一ト息薬喰 貴之
季題は「薬喰」。
『ホトトギス新歳時記』では「鹿の肉は冬期以外は味がよくない。」と書き出し、
「薬喰」の対象がおおよそ「鹿」であると解説。
傍題として「鹿売」を掲げている。
本誌、平成二十一年七月号掲載の座談会「江戸料理の四季」では、福田浩さんが江戸時代の料理本
『料理物語』には「鹿は貝焼、狸は田楽、猪は汁、兎は煎焼、熊や犬は汁」などと書かれている由、紹介しておられる。
江戸時代にも中々「獣」を喰っていた様子が紹介されていて驚いたが、今でも牛・豚・鶏以外はめったに喰わないのが普通だ。
掲出句の「薬喰」が具体的に何を「喰った」のかは判らぬながら、日頃はやや抵抗があって
喰わない珍しい「獣肉」を喰ったには違いない。
当然のごとく酒も酌み交わしながら何人かで、わいわい騒ぎながら喰ったのであろう。
ひとしきり喰った時点で、作者は大分くちくなった腹をさすりながら、ゆっくり「後ろ手をついて」卓を眺めたので
あろう。
あるいはあまりの満腹に天井を仰いだかもしれない。
決して行儀が良いとはいえない姿勢が、いかにも「薬喰」をしている気分を伝えている。

11月号, 2009
夕立来と回転ドアを戻り来る ひろし
季題は「夕立」で夏。
傍題に「夕立雲」、「ゆだち」、「白だち雨」、「夕立風」、「夕立晴」がある。
夏の夕方にわかに空が暗くなって、ザッと雨が落ちてくるのは気持ちのよいものである。
一句を鑑賞するポイントは「回転ドア」。
大昔の事は知らないが、今どき「回転ドア」のあるのはデパートとかホテルのたぐい。
人が立っただけで勝手にスライドする「自動ドア」に比べてやや「のろま」な感じもするが、どこか大時代な魅力もある。
下五、「戻り来る」とあるのであるから、先ほどまでドアの内側にいた人物が一旦外へ出て、
その後再び「回転ドア」から帰ってきたのである。
出て行ってから、戻って来るまでの時間は表現されていない。
ともかく内側にはその人物を迎える人物もいる。
そうでないと「夕立来」という情報を受けとめる側がいないことになってしまう。
そこで考えられる情況は、デパートではなく、ホテル。
仲間はまだホテル内に留まっているのに、先に出て行った人物が「夕立が来たよ」と言いながら戻って来たととるのが
無理がないだろう。
傘を取りに戻ったのではないかという推量も可能だ。
ホテルは街中のホテルでも、リゾート地のホテルでもよい。
二三人の滞在客がこの句の世界を作っている。
10月号, 2009
海女小屋の電気メーター回りをり 祐之
季題は「海女」。
三省堂の虚子編『新歳時記』には無かったが、汀子編『ホトトギス新歳時記』になって立項された。
海女の仕事は春から夏を経て、秋まであるが、一応「夏」をその最盛期と見て「夏七月」の項に載せることとなった。
これは海女が、どの季節に何を採取するかに大きく関わっている。
海女が海底から浮かび上がって「ヒュー、ヒュー」と笛のような音を出す「磯嘆き」なども興趣に富むものである。
さて掲出句はそんな海女の仕事ぶりを見に行った作者が「海女小屋」を見かけての作。
春の季題の「磯竈」とはやや違いながら、海女の寛いだり、暖をとったりするための「小屋」が海女小屋なのであろう。
当然のことながら部外者、ましてや作者のような男性の身には中に入ることも、覗くことも禁じられているに違いない。
そんな「海女小屋」の周囲を徘徊した作者の目に触れたのが「電気メーター」であった。
場所により、時代により少々異なるのであろうが、小さな円盤が、電気使用量に見合って、
ゆっくり回っていたりする。
耳をすましてみても人声のない「海女小屋」。
その海女小屋の中では、電球だか、冷蔵庫だか分からないが、何か電気によって動くものが働いているのである。
観光客相手の「海女ショー」のようなものもあるにはあるが、この「海女小屋」の中に「ひそと」寛いでいる「海
女」達は、
もっと地味に仕事を続けているのであろう。
音もなく静かに回る「電気メーター」に実直で厳しい海女の日頃を垣間見たような一句であった。
9月号, 2009
福分けるやうに新茶のしづく分け なな
季題は「新茶」。
「走り茶」ともいう。
お茶はお湯の温度で味が変わる。
低い温度ならば「甘い」お茶が楽しめ、高い温度なら「渋い」お茶が楽しめるという。
そもそも「お茶を淹れる」の「淹」の字は「低温でいれる」の意味があるのだと、聞いたことがある。
お湯を一旦茶碗に注いで、温度が下がったところで茶葉を入れた急須に戻すのはその点を踏まえた技。
そして急須から最後に絞りだされる数滴が殊に美味といわれている。
掲出句は何人かで「新茶」を楽しんでいる場面。
適温にしたお湯を急須の茶葉に注ぎ、ゆっくりと注ぎ分けているのだ。
そして肝腎の「最後の数滴」のところで、皆の視線が急須の注ぎ口に集まっている。
いかにも甘そうに、やや濁ったお茶が、ぽたり、ぽたりと茶碗に吸い込まれていく。
8月号, 2009
トマト食ぶ乗越といふ風の道 かおる
季題は「トマト」。
「蕃茄」「赤茄子」などの傍題があるが、なかなかその例句に出会わない。
「トマト」という語の印象があまりに鮮明なために、どの傍題も霞んでしまって一句の中で立ちきれないのであろう。
「乗越(のっこし)」は稜線の鞍部になっているところ。
地形的には「峠」とほぼ似ているが「峠」が山越えのルート上の最高地点であるのに対して、
「乗越」というとそこからさらに高い峰を目指すような印象が強い。
掲出句も登山のおりの所見であろう。
「トマト」で水分を補給してさて、さらなる登攀をひかえているという感じである。
その「乗越」にしばらくの休憩を取っている一行を豊かな「風」が吹き抜けていったのだ。
まるで「風」の塊が後から後から登ってきて、人々を吹いては駆け抜けていくようだ。
作者は「風の道」という言葉に逢着した。
家の中でよく風の抜ける辺りを「風道(かざみち)」などともいうが、それとは違う。
もっともっと強大な、自然の断面としての「風」が「乗越」を駆け抜けてゆく。
「風」が主人公。
「トマト」は脇役である。

7月号, 2009
青田風入れてひとりの茶漬かな 照男
季題は「青田」。
「青田風」は一面の「青田」を吹き渡って来る豊かな「風」である。
田面が「青田」のおもむきを呈するのは七月ごろ。
田植えをしたばかりの「植田」から稲がだんだんに成長し、
まったく田水が見えなくなって、
さらに丈を伸ばした状態が「青田」である。
「入れて」はその風を家中に吹き渡らせているようす。
戸障子を開け放って柱ばかりが目立っているのだ。
そんな田圃の真ん中の開け放った家で、「ひとり」「茶漬」を食う状況はなかなか風変わりだ。
どういう事情だか分からないが、家族は皆「田草取り」か何かに出払ってしまって、
年寄りが一人で昼飯でも食っているのであろうか。
『猿蓑』中、「市中の巻」
二番草取りも果たさず穂に出て 去来
灰うちたゝくうるめ一枚 凡兆
を髣髴させる景色かもしれない。
ともかく、経緯はさまざまに想像されるが、
「せいせいした気分」と「青田の景色」が伝わってくれば、一句は成功といえるだろう。
6月号, 2009
春と名のつくものすべて待ちにけり 光弘
季題は「待春」。
虚子に「時ものを解決するや春を待つ」の句がある。
虚子の句は世間的の柵を抱え込んでの吟。
どこか処世訓じみた要素もなくはない。
一方、掲出句はもっと素直な、それでいて切実な願いを込めた句に見える。
「春を待つ」と言って時節の到来を待つばかりではないのである。
「春と名のつく」諸々のものに出会いたいのだ。
曰く「春の海」、「春の川」、「春水」、「春の雲」、「春の月」。
どれもこれも観て触って賞翫したい。
「春愁」でさえも、また享け入れてみたい。
春夏秋冬と言う。
これは中華文明がこの列島にもたらした時間の扱いかた。
それまでの列島ではやや違う季節の巡りがあったのではあるまいか。
例えば冬。収穫されるものはほとんどない。
寒さで体力が消耗するばかりの季節にはもしかすると、熊の冬眠に近いかたちで、
体温も低くして仮死状態にあったのかもしれない。
「春」の枕詞が「冬籠もりはる」というのはそんな想像を我々に許す。
仮死からの復活が春の到来であった。
そんなロマンに満ちた空想が展開されてしまうような春をひたぶるに待つ心。
そんなものが一句に横溢している。
諷詠と呼ぶにふさわしい心の張りが感ぜられる。

5月号, 2009
稲妻は水平線の先を刺す 礼子
季題は「稲妻」で秋。「雷」といえば夏なのに「稲妻」というと秋になる。
稲の稔りを促すという日本人の感じ方が同じものを二つの季節に分けた。
一句は「水平線の先」が眼目。
地球は丸い。したがって水平線を見ていると真っ直ぐのはずの水平線が
左右にやや彎曲して伸びていく。この彎曲は実は縦方向にもある。
真っ正面をこちらに向かって来る船は、まずマストから見えて、
後から本体が見えてくる。つまり水平線に邪魔をされて
見えていない「向こう側」は何処までも彼方に拡がっている。
掲出句の「稲妻」はその見えていない「向こう側」の海面に落ちて行く。
しかもその「落ち方」は鋭く、「落ちる」では作者は納得できなかった。
そこで作者の脳裏に浮かんだ言葉は「刺す」。
直線的に、かつ素晴らしいスピードで「稲妻」は海面の向こう側に落ちてゆく。
「在タイ」とあるので、日本の景ではないのかもしれないが、作者の凝視から一句は生まれた。

