俳句結社 夏潮
 句会、講座、初心者入門案内

                              こもろ日盛俳句祭

              こもろ日盛俳句祭 懇親会にて


     西村和子、宇多喜代子 両先生


 以下、当日配布された「かわら版小諸の”ちから”」からの抜き書きです

 「本井英さんへインタビューに伺いました。
  インタビューの中で本井さんは俳句を『自分を育ててくれた最大の教育者』と表現されました。
  俳句を詠むことによって、物事の考え方、世の中のあり様、精神的な立場や見方などを学び、そして
  自分の性格や存在が作られていったそうです。
  こもろ・日盛祭についての感想を伺うと、忙しい中多くの俳人の方々に参加して頂いて
  ありがたい気持ちでいると同時にどなたも笑顔を見せていて良かったと話し、更に参加者だけでなく、
  裏方でこの祭を支えているスタッフの方々も楽しまれている様子なので、大変満足していると満面の笑みを
  浮かべました」

 「今日は二日目の選者、西村和子さんにお話を伺った。
  西村さんと俳句との出会いは高校生の時。石川啄木の『君に似し姿姿を街に見る時のこころ躍りを
  あはれと思へ』という句に出会い、それから俳句と40年の時をともに刻んでいる。石川啄木の詩にも
  見られるように、出会ったもの、見たものに対して心が動いた実感を直接的に表している。
  そこには、小細工や美辞麗句は存在しない。率直な気持ちをそのまま言葉にすることで感動が生まれ、
  人生の1ページとして記憶に残る。誰もが知っている言葉を適切に使うことの方が難しく大切なのである。
    西村さんにとって俳句とは『人生の連れ合い』。人生の1シーン1シーンの思い出が俳句であり、人生を
  豊かにしてくれる。
    西村さんの選ぶ言葉の1つ1つが私の心に響き、実感に変わる。そんな気にさせてくれる方との出会い
  であった。」

 「『こもろ日盛俳句祭』も2日目。午後4時から、170名近い参加者で賑わうベルウィンこもろにて、
  宇多喜代子先生による講演会が行われました。
    講演会は、『水の時間』と題され、季語に頻出の、そして、人々の生活に欠かせない「水」をキーワードに
  水文学の見地から、近年の水を取り巻く環境の変化、そして、水の大切さについて説かれ、
  先生の軽妙洒脱な語り口に、多くの参加者が聴き入っていました。
  『今の雨水は、地面に染み込んで、湧き水となって、100年後の子供たちの飲み水になる。そういった
  水の時間を意識して欲しい』『言葉と生きることとが密接に結びついている俳人こそが、身の回りの
  環境の変化に気づくことが出来る。俳句を通して、水の大切さを知って欲しい。』と締めくくられました。
  『目で見る、手で触る、行って確かめる』を信条とされている先生のお話は、ご自身の経験をもとに
  話されているだけあって、臨場感に溢れ、ご自身の田んぼに実る赤い穂が風に揺られる様子など、
  歳時記から次々と引かれる水にまつわる季語と一緒に、目の前にお話しされている光景が広がって
  くるようでした。」
              

こもろ日盛俳句祭(八月一日〜三日)に参加して

久々に訪れた小諸は、町といい周辺の自然といい、虚子が疎開していた頃、また藤村が暮らした頃もかくや、
と思わせる佇まいで迎えてくれた。
ランチ処がみつからず、かろうじてコンビニ一軒晩夏光、なんて一幕もあった。
踊る阿呆に見る阿呆ではないけれど、お祭りは人が集れば集まるほど盛り上がる。
「こもろ日盛俳句祭」もしかり。
連日百余名を数えたという参加者に加え、とりわけ今回はいつもの吟行や夏の稽古会と違って
慶大生や地元ボランティアが多々、三日間のつつがない進行を支えてくださった。
古寺からワイナリーまでさまざまな吟行先への迅速な足となってくれたり、
瓦版の朝刊夕刊(盛り沢山でユニークな編集ぶりに脱帽)が発行されたり……
誌上を借りて改めて申し上げたい、ありがとう×100!
句会もまた、全国各地から結社の枠を越えて集った人々
によって、いつもの句会とは一味も二味も異なるひとときとなった。
つい今朝がた一緒に眺めた信濃の山並を、草木や花を、おっと、そう詠むのか!
と意表を突かれること少なからず。
兼題のひとつ「青柿」も、それが暮らしの中の景色なのか、吟行の途の出合いなのか、
はたまた北海道から来た方のように未知未見の季題なのか、が各人各様の句から、句評からも、おのずと伝わってくるようで、
いつにもまして選句には迷い狂ってしまった。

それから、ゲストによる講演会。高橋睦郎氏の「平生則辞世」も、宇多喜代子氏の「水の時間」も、
吟行→句会の後で弛緩しがちな頭を覚醒させてくれる、ときにキケロや清少納言や西行や子規、
虚子が生きた夢の昔へと誘ってくれる、聴きでのある一時間四十五分だった(宇多氏の講演は後日「夏潮」に掲載される由)。
五七五という微小な糸口から垣間見え、そこから拡がっていく宇宙のなんと膨大で深遠なことよ。
俳人と呼ぶには多才すぎる?お二人の元気をお裾分けしていただいた、そんな感も大なり。
一日の〆は懇親会。
やはりスタッフとボランティアの尽力による、句帖ならぬグラス片手の寛いだひととき。
句会を仕切ってくれた新鋭俳人の方々を紹介されたり、参加者のお一人、林家喜久翁師匠と記念撮影をしたり。
個人的には「夏潮」会員達との再会と出会いをも楽しんだ(コノ若造がアノ気取った名句を詠んだのか、とかね、フフフ)。
願わくば、この俳句祭が盛夏の恒例となりますように。
もうひとつ願わくば、地元の味覚や特産物と出合える朝市、期間限定カフェとか屋台の類があったら嬉しいなあ。
そうした町起こし的なコマーシャリズムがほどよく参画してくれたら、わたしたち外来者は小諸という町ならではの魅力を堪能でき、
総じて俳句祭はもっともっと盛り上がるはず。
そう思えてならないのだが、いかが。
                                             富美子記



楽しかった三日間が、あっという間に終わった。
会で用意して頂いた首から下げる名札のお陰で、未知の会の人とも、地元の方とも気さくに話をすることが出来、
新涼と表現出来そうな涼しい気持ち良い小諸の風、澄んだ青い空、ふるさとを思わせる少し鄙びた駅前通り、
町を少し離れると千曲川の段丘に散らばる桃畑、葡萄畑の田園風景、懐古園の戦国ロマンを秘めた茂り、
布引観音の峨々たる岩根、蕎麦が旨い、会う人が皆親切、さっきまで知らなかった人との楽しい語らい、
一期一会の句会、そして与良館と虚子館、水車小屋跡までの虚子の散歩道。
慶應の学生諸君が、三日間にわたって発行した新聞二種類十二枚の労作、受付案内、募集句の係など、
与良館に前夜から泊り込んでとの事、企画、取材の合間に編集、発行配布と、これも今回の日盛会を盛り上げた一つであろう。
ちなみに私の句作用の極小のメモ帖も堂々とカメラに納まり、下手な字もろとも掲載されていた。
三年前に本井英主宰が、逗子の自宅を会場に、暑い盛りの八月の三十一日間を虚子の鍛錬会を再現しようと行われた「日盛会」。
毎日午前十句午後十句の二回句会を開き、延べ八千〜九千句が登場し、結社、経歴を問わず集り、大盛況で部屋を溢れた人も出たと。
私も縁あって十日間、二十回の句会に出席し、毎回逗子の夏の風物を楽しませて頂いたので、
今度の二度目の企画を待ちに待っていた一人でもあった。
そして詩人でもあり俳人でもある高橋睦郎氏の講演も長時間にわたり、俳句の感動は待つのではなく取りに行け、
積極的な心を持って待て、挨拶句は相手が場所であれ人であれ、しっかりと対話をしてから詠めと、
その示唆するものの多さに感動した。
二日目の宇多喜代子氏も水の大切さについて色々な切口から講演され、二日間にわたって得たものは
今後の句作の血となり肉として役に立てて行きたい。
浅間山は三日間、遂に姿を見せてくれなかったが、来年の第三回の時にはその勇姿を見せてくれると
大いに期待したい所である。
会場で、町の中で会った未知の俳人の方々の話では、
私共東京近辺の俳人は三日間にわたって出席頂いた先生方に会う機会が比較的多いのだが、
小諸近辺をはじめ信州その他各地方から出席された方々は特定の所属する先生以外は普段交流が無く、
あの有名な先生にお目に掛り選をして頂いた、お会いして話が出来た、と私達と全く違う満足感をお持ちのようだった。
それにしては選が会員と同じ数だけ、評も選評は一句のみであとは討論を主としている点が、少し物足りなかったとも。
もしこの会が二度三度と重ねられれば解消されることでもあろう。
三日間のめくるめく俳句三昧に感謝して。

                                                    梓渕 記