花鳥諷詠心得帖20
二、ことばの約束-12-
「漢字(仮名の出現)」
本稿を愛読して下さっている、筆者の中学時代の恩師から、本欄について叱られた。
誰でも判っているような話をだらだら書くのは貴重な誌面の無駄遣いであると。
洵に先生の仰る通りなのだが、日本語についての筆者の「復習」のつもりということでお許し頂きたい。
前回触れた通り、大和の国家経営にとって漢字は大切なツールだった。
従ってその読み書きに堪能な帰化人は役人として重宝された。
それが「史人(ふひと)」と呼ばれる人々だ。
彼らは家の芸として漢語・漢字を操り、代々その職に就いた。
しかし帰化人達の漢字能力も、子や孫の代になると大和言葉の日常生活の中で徐々に衰えていく。
そんな環境の中で漢字使用の日本語化が進んでいったに違いない。
一方、日本のさまざまのことを「漢文」で表現して行く上でどうしても漢訳出来ない部分がある。
例えば固有名詞だ。
そこで漢字の「音(おん)」に頼って日本の固有名詞を漢字で表記してしまう方法が工夫された。
丁度近代になって英語で表現できない地名などをローマ字で表現したのに似ている。
(山上の)オクラという人名を「憶」と「良」の字音を利用して「憶良」と表す類である。
このように大和の言葉を漢字で表現したのが所謂「万葉仮名」である。
仮名とは呼ぶが見た目は漢字の文字列そのものである。
つまり「万葉仮名」という文字があるのではなく、「万葉仮名」という漢字の使用方法があるのだ。
因みに「仮名」の対立語は「眞名」、漢字の本来の使用法の意である。
これらの万葉仮名の字体が時間とともに「草書体」となって行くと「草の仮名」、
すなわち今の「ひらがな」になって行く。
ひらがなの出現は基本的には漢文を修得しないことになっている女性達に筆録の機会を与えた。
やがて女流歌人が活躍し、『源氏物語』や『枕草子』が登場する素地が用意されたことになる。
それでも男は何処までも漢文で公的事務をこなし、日記も漢文で記す。
再び現代の英語と日本語の関係に準えるなら、男は毎日オフィスで英語の書類を処理し、
日記も詩も英語で楽しむ。
一方女性は家庭内にあって日本語で暮らし、手紙や和歌はローマ字でつづる、といったところか。
ここで一つ重要な事がある。それは当時の男性が女性と心を通じようとするなら漢文では駄目で、
宜しく和歌をもって語り掛けなければならなかった。
ということは原則として漢語は使用出来ない。
勿論その根幹にはもっと呪術的な理由もあるのだろうが、ともかく和歌に漢語は現れない。
明治に至って新派の歌人達が大革新を行うまで和歌はどこまでも「大和詞」で綴られたのだ。
この和歌ならびに純正連歌の厳格な語彙制限に風穴を開けたのが「俳諧」。
次回はその辺のお話。(つづく)

花鳥諷詠心得帖21
二、ことばの約束-13-
「漢字(漢語と俳諧)」
「俳諧」という言葉は結構古い言葉で、既に『古今集』に「誹諧歌」のあることはご存知の方も多いだろう。
表向き真面目な和歌に対して「誹諧歌」は滑稽を主とした「ヲコ」なるものであった。
一方連歌も正式に書き留められなかっただけで、古今集の時代に既に「楽しまれて」いた。
本来一人で詠うべき「五七五七七」を「五七五」と「七七」に分けて二人で作る。
つまり「唱和」をして一作品を為す、というのは楽しいゲームであった。
そんな「五七五」と「七七」に更に「五七五」を繋いだのが「鎖連歌」の発端だ。
「五七五」に「七七」を、その「七七」に「五七五」を、また「七七」と際限なく連想の輪を拡げてゆくゲーム。
これも大いに好まれ、終いには「連歌」を一廉の文芸として楽しむようになる。
室町時代の二条良基・宗祇といった人々は、この連歌の達人であった。
ところで此処で確認をして置かなければならないことは、この「連歌」はあくまで「和歌」の拡大したもので、
「世界」、具体的には「用語」は「和歌」のそれ、つまり純粋な「大和詞」で綴らなければならなかった。
さてそこで室町時代の末近くなって、これら「俳諧」と「連歌」が結びついて「俳諧連歌」なるものが登場、
新興の武士や町人に好まれて、現代的で親しみやすい文芸となった。
江戸時代に入ると世の中の安定と貨幣経済の拡大によってますます文芸は庶民のものとして広まっていく。
この近世の寵児とも言うべき「俳諧」の最初のマイスター(親分)が松永貞徳。
本来古典文芸や連歌に長じていた教養人であったが、多くの庶民を啓蒙的に導く役目から、
俳諧の大御所として君臨した。
この貞徳による「俳諧」の定義こそが「俳言」である。つまり「俳言」のあるなしが、「俳諧」か「連歌」かの違いを
見極める目安とされたのだ。
では「俳言」とは具体的にどんな言葉か。
つまりは「俚言」と「漢語」でる。「俚言」は判る。
即ち「和歌」ではとても使えない日常語、方言、下卑た言葉などだ。
そして「漢語」。
前回も指摘したように「和歌」の世界では明治に至るまで「漢語」の使用は認められていない。
現代の日本語は勿論、近世の日本語でも「漢語」の語彙全体に占めるパセンテージは低くない。
分かり易く考えれば漢字を「音読み」した単語だ。
「和歌」はその広大な言葉の地平を無視して創作し続けてきた。
それに対して「俳諧」は「漢語」使用の解禁によって、名実共に現代文学(江戸時代の)としての基盤を得た
と言っても良い。
京・大坂・江戸で毎日繰り広げられている庶民の生活、また交通の発達と共に知られて来た地方の生活、
さらには百姓や漁師の日常が詩歌の対象に初めてなったのだ。
「漢語」こそが俳諧文芸の強い足腰の要だったのだ。
花鳥諷詠心得帖22
二、ことばの約束-14-
カタカナ
文語・口語の話、仮名遣いの話、漢字・漢語の話、と進めてきた「ことばの約束」。
続いては「カタカナ」の話。
「カタカナ」もその名のごとく「仮名」である。「仮名」の第一号が「万葉仮名」で字体としては
「漢字」そのものである点は既に述べた。
またその「万葉仮名」を草書体に崩したところから「草の仮名」即ち「ひらがな」の発展していった話もした、
はず。ところで今回の「カタカナ」はと言うと。
元々は漢文訓読の場面にその存在の意味があった。
「漢字」の項でも触れたように、漢字はもともと「漢文」を表記するための文字。
その漢字で書かれた漢文は、上から順に中国音で読めれば本来。
たとえばサンスクリット語で書かれていた「釈尊の教え」を中国へ持ち帰って漢語訳したのが、
我々の知っている「お経」。
「お経」は本来の仕来りに則って、漢音で上から順に訓む。
だから聴いていても「解らない」。
漢文を日本人にも解るように訓むには、語順を入れ替えながら、「てにをは」を補って訓むしかない。
白文に訓点を施して訓む。
さらに補助的に「仮名」を添えて訓み間違えないようにする。
その場合の「仮名」は字画が単純なのが、場所をとらなくって良い。
そこで「万葉仮名」の一部分を用いて代用させた。カタカナの始まりだ。
「草の仮名」から発達した「ひらがな」は主に女性達に愛用され、和歌や物語を記す道具として
一人前の地位を築いたのに対して、「カタカナ」は何処までも漢文訓読の補助記号であった。
もともと「カタカナ」の呼称そのものが、「カタ」つまり「不十分」の意味を負っているのだ。
赤ん坊の「片言」の「カタ」と同じだ。
明治時代に制定された古い法文(確か「刑法」などそうであったか)が「漢字片仮名混じり文」で
表記されていることから、片仮名の方が平仮名より権威あるもののように誤解する向きもあるが、
それは間違いで、「漢字片仮名混じり文」中の片仮名は「文字」ではなく漢文訓読上の補助記号と
心得るべきものであろう。
因みに日本ではつい最近まで「漢文」が正式だったのだ。
たとえばの話、日本の正史とされている「日本書紀」は漢文で書かれているではないか。
あるいは江戸時代の俳書などでも序文・跋文は漢文が多い。
ところで「カタカナ」はいわば発音記号である、となると気づくことがある。
たとえば「雷鳴」を表す場合、「ごろごろ」より「ゴロゴロ」の方が、実際の音の感じが出る。
「ごつん」と殴るより「ゴツン」とやった方が痛そうだ。
「あなたを愛してるわ」と手紙に書かれるより「あなたを愛してるワ」と書かれた方が、
その娘の顔や口元が想像できる。
いわばリアリティーがあるわけだが、それらは結局われわれが「カタカナ」を事柄を象徴する文字というより、
音を伝達する「記号」と捉えているからに他ならない。
花鳥諷詠心得帖23
二、ことばの約束-16-
「変体仮名」
漢字から仮名への話をしながら、話柄が一気にカタカナに移ってしまって、
所謂「変体仮名」の話をしなかったので、それについて若干触れておこう。
「変体仮名」の対立語を無理に言えば「正体仮名」とでも言うのだろうが、不勉強で耳にした事がない。
現在通行している「ひらがな」の字体が権威を得たのは明治三十三年八月の「小学校令施行規則」に
定められたのが初めと言われており、その時点から、他の「ひらがな」は屈辱的な「変体」の二文字を
付けられた訳だ。
それ以前は「万葉仮名」以来どの仮名が正統でどの仮名が異端などと言うことは無かった。
万葉仮名では一つの音に対して複数の万葉仮名が当てられていた。
おそらくは筆者の恣意で使用する万葉仮名を定めていたのであろうが、詳しくは判らない。
ただし単語によって、同じ音なのに一定の法則性をもって万葉仮名を遣い分けていた事から、
有名な「上代特殊仮名遣い」の発見があったことも事実だ。
「上代特殊仮名遣い」というのは万葉仮名使用の「ある法則性」から、日本の古代語には
現在のような五母音ではなく、八母音があった事を突き止めた研究だが、
今回の話には直接関係が無いのでこれ以上は触れない。
ともかく万葉仮名では一音に対していくつかの仮名があり、それはそのまま「ひらがな」にも受け継がれて、
王朝時代の物語でも、鎌倉室町時代の随筆でも、およそ「ひらがな」で書かれた部分に登場する仮名文字の
種類は現代のそれと違って豊かであった。
たとえば「カ」について考えてみると明治三十三年以降学校教育では漢字の「加」を字母とした「か」が正しい
とされた。
現に今筆者がNECの「ヴァリュースター」というパソコンに「一太郎」というソフトを乗せて書いているキーボード
では「k」のキーと「a」のキーを連続して押せば、いやでも「か」が画面に現れ、それ以外の「カ」は現れない。
ところが我々の実際の生活場面では可能の「可」を字母とする「カ」も頻繁に登場してくる。
浅草観音様の山門の大提灯の「魚がし」の「か」は「可」を字母とした「カ」であるし、昔から女手紙の文末も、
「ゝ」と書いてくるっと豚の尻尾のように巻いて、「し」が真っ直ぐに縦に伸びて、それに続けて「こ」とあるのが
女らしくて良かった。
最近では「かしこ」全盛。
それどころか「敬具」、「不一」で終わる女手紙も堂々と往来している。
俳句の短冊の「かな」もどちらかと言えば、「可」「奈」の方が収まりがよく、以前に本欄で取り上げた
「落穂帖」の虚子短冊中の「かな」も「可」使用の方が多かったように記憶している。
変体仮名。
知らなくても何も困らないような気もするが、俳人としては、それでは一寸淋しい。
芭蕉以来の先輩達の短冊や半切に接した時のためにも、知っておいた方が楽しいと思う。

花鳥諷詠心得帖24
三、表現のいろいろ-1-
「字余り」
「心得帖」言葉の約束を踏まえた上で、今回からは「表現のいろいろ」。
まずは、五七五、十七音の問題から点検してみよう。
俳句が十七音に定まるまでの歴史的なお話は後刻に譲るとして、本来十七音である俳句に十七音ならざる
作も多々見受けられる話。
所謂「字余り」と呼ばれる形だが、虚子作品にも少なくない。
初心者の字余りと違って虚子ほどの作家になれば当然、一つの選択された「表現」としての字余り
ということになる。
そこで試みとして『五百句』に収録された五百句を材料に取り上げてみよう。
『五百五十句』以降についても勿論重要だが、ともかく大雑把に虚子の「表現」を俯瞰するには
これで充分であろう。
また『五百句』は明治二十七年から昭和十年までの作品を、明治・大正・昭和からほぼ均等に
選抜してあるので、さまざまに時代差を比較するのにも便利である。
文学作品を論ずるに数値的な比較はあまりしたくはないのだが、話のとっかかりとして一応挙げて置こう。
『五百句』中の字余り句の総数は七十九句。約十六パーセント。
これは存外多い。もう少し詳細に点検すると、「上五」が字余りのもの三十七句。
「中七」十六句。「下五」九句
。二カ所以上(上五・中七・下五のうちで)に字余りのあるもの十七句である。
圧倒的に「上五」に現れる場合が多く、「中七」でも思ったより多く字余りが数えられた。
また普通「上五」で字余りになったら「中七」「下五」では余らせない、「中七」で余ったら「上五」「下五」は
定数で、というのがよく言われる「コツ」だが、『五百句』には二カ所以上で字余りになっているものが
十七句もあるのは喫驚に値する。
さらにこれら七十九句の「字余り」が詠まれた時期について見ると面白い。
大雑把に言えば「五百句時代」の前半に「字余り」が多く後半に少ない。
特に大正時代前半に多く、「二カ所以上の字余り」に関して言えば、その殆どが大正前期に詠まれている。
ここまでが数値の話。
さて実際にはどんな作品が「字余り」として表現されているのだろう。
「上五」の例から。
主客閑話ででむし竹を上るなり(明治三十九)
師僧遷化芭蕉玉巻く御寺かな (大正二)
これら二句はともに漢語表現の部分が字余りになっている。
つまり「上五」が六音あるのだが、四文字のフレーズとしての纏まりが強固なために、
緩んだ、ばらけた感じを与えない。
つまり漢文脈の持っている独特の硬質感が、ある調子を一句に与えていると言えるだろう。
似た例では、
書中古人に会す妻が炭ひく音すなり(明治三十六)
がある。
これも漢文訓読調が働いて二十二音節に適当なリズム感を与えていると言える。 (つづく)

花鳥諷詠心得帖25
三、表現のいろいろ-2-
「 字余り(上五)」
「上五」の字余りの続き。「て」で余らせている例。
海に入りて生れかはらう朧月 虚子
逡巡として繭ごもらざる蚕かな 々
草に置いて提灯ともす蛙かな 々
コレラ怖ぢて綺麗に住める女かな 々
烏飛んでそこに通草のありにけり 々
船にのせて湖をわたしたる牡丹かな 々
一を知つて二をしらぬなり卒業す 々
これらの例は、「上五」を字余りにしなくても、何とか意味は通じる句ばかりだ。
例えば第一句目、「海に入り」とすれば字余りにならない。
しかも一句の意味には殆ど変化がない。
以下それぞれ「逡巡と」・「草に置き」・「コレラ怖じ」・「烏飛び」・「船にのせ」・「一を知り」とすれば
字余りではない。
そして筆者も含めて読者諸兄姉も、実際の作句の場面では、敢えて「字余り」の道は選ばずに、
「定型」で治定されるのではあるまいか。
では何故か。「通草」の句を除いては、「中七」と「下五」の間に大きな「切れ」がある。
勿論「字余り」にしなくても、そこに「切れ」はある。
しかし「て」を加えて「字余り」にすることによって、「中七」、「下五」間の「切れ」は強調されて、
「下五」のインパクトが増す。
つまり「草に置き提灯ともす」でも内容は変わらないが、
「て」と加えることで、「草に置いて」・「そうして」・「提灯をともす」と、一連の人間の所作がありありと
描かれて来るのだ。
その人間の姿を包むように「蛙」の鳴き声が立ち上がってくる。
此処にいたって「蛙かな」の「かな」の切れ字の面目が立つ仕組みだ。
「字余り」の「て」がないと、うっかりすると「蛙」が動作主にも取られかねない。
人間の行動と「蛙の声」の対立を際だたせた功績は「て」の一文字と言えるだろう。
同様の例は「コレラ」でも同じことで、「女かな」という「下五」がはっきり独立的に見えてくる。
文法的には「綺麗に住める」の「る」は存続の助動詞「り」の連体形だから「住んでいる女」という具合に
比較的強固な連体修飾関係にある筈なのに、一句全体のリズムとしては「上五」「中七」で一塊り、
其れへの対立項として「下五」が配置される。
全く同様なことは「船にのせて」でも言える。
おそらく琵琶湖だろうが、湖を横切る船の姿が鮮明に見えてくるではないか。
「牡丹かな」への連接の仕方まで同じだ。
こうなると一つの「おきまりの」表現法とさえ言えそうだ。
一方、「一を知って」は若干事情が異なる。
こちらは「一を知って十を知る」という慣用句を少し変形させて「二を知らぬ」と機転を利かせた表現。
つまり「て」は慣用句を想起させるための大切な「仕掛け」なのだ。
「一を知り」とは言えない訳である。 (つづく)
花鳥諷詠心得帖26
三、表現のいろいろ-3-
「 字余り(二物衝撃)」
「上五」字余りの続き。前回の「て」と同様、結果として「上五」と「中七」でひと塊となって、
「下五」を際だたせ、「二物衝撃」という典型的な俳句表現に収まる例。
蒲団かたぐ人も乗せたり渡舟 虚子
老の頬に紅潮すや濁り酒 々
簗見廻つて口笛吹くや高嶺晴 々
船に乗れば陸情あり暮の秋 々
人形まだ生きて動かず傀儡師 々
慟哭せしは昔となりぬ明治節 々
神にませばまこと美はし那智の滝 々
これらは「中七」の末尾が「乗せたり」「潮すや」「吹くや」「あり」「動かず」「なりぬ」「美はし」と、
いずれも「切れ字」あるいは「終止形」で鋭く「切れ」ているところが注目点で、
「上五」「中七」が大きく一塊りとして捉えられていながら、さらに「下五」が「渡舟」「濁り酒」「高嶺晴」
「暮の秋」「傀儡師」「明治節」「那智の滝」と一単語の体言であることで「二物衝撃」が際だつ。
「字余り」の部分が「膠」のような働きをして言葉を寄せ集め、重量のある塊としておいて、
もう一つの塊と「ぶつけて」印象を濃くしているのだ。
ということは当然、「上五」対「中七」・「下五」という組み合わせもあるはず。
怒濤岩を噛む我を神かと朧の夜 虚子
此秋風のもて来る雪を思ひけり 々
清水のめば汗軽ろらかになりにけり 々
夜学すすむ教師の声の低きまま 々
これらはその例と言っていいだろう。「上五」の字余りで、印象的な言葉をまず投げかけておいて、
ややポーズがあって後に「その言葉」に見合う重さの内容を持った「中七」・「下五」が連なる形だ。
こうして見てくると俳句にとって「切れ」と「つながり」が如何に重要か見えてくる。
次に「中七」の字余りの話。
個人的な好みから言うと、筆者は「中七」の字余りを好まない。
実は『五百句』に十六句もその例のあったことは少なからざるショックでもあった。
しかし次の六句についてはすぐに納得がいった。
そこで次回までのクイズ。以下の六句の「中七」字余りは如何なる効果を一句に与えているか?
御車に牛かくる空やほととぎす 虚子
此墓に系図はじまるや拝みけり 々
蜻蛉は亡くなり終んぬ鶏頭花 々
山吹に来り去りし鳥や青かつし 々
唯一人船繋ぐ人や月見草 々
此村を出でばやと思ふ畦を焼く 々
(つづく)
花鳥諷詠心得帖27
三、表現のいろいろ-4-
「字余り(中七)」
前回の宿題の答え。
「中七」字余りの例を六句示して、字余りが有効に作用している理由を考えて頂いた。
どうか前項をご覧下さい。
答えは字余りによって「上五」「中七」が大きく一塊として認識されている、ということ。
その効果をより有効にするために「中七」の末尾は大きく「切れて」いる。
即ち「空や」、「はじまるや」、「終んぬ」、「鳥や」、「人や」、「思ふ」。
すべて「や」の切れ字か動詞の終止形なのだ。
そして、これまた「二物衝撃」の効果で季題が鮮やかに表現(山吹の句については「青さ」が)されている
と言うことになる。
「中七」字余りは、『五百句』中まだ十例ある。これらに納得のいく理由を付けるのはこれでなかなか難しい
(まあ当然と言えば当然。そこが虚子の天才的なところなのだから。)それらの中で次の二例は何となく解る。
蚰蜒を打てば屑々になりにけり 虚子
雪解の雫すれすれに干蒲団 々
これらは問題の「字余り」部分に「屑々に」「すれすれに」という擬態語を含んでいる。
そして、その擬態語の効果は「字余り」のフレーズの中で一層増していると思われる。
「打てば屑々に」のやや間延びした時間の中に、丸めた新聞紙を振り上げて半狂乱になって蚰蜒を打つ
女性の姿がありありと見える。
そして「下五」の「なりにけり」が、我に還って「屑々に」なった蚰蜒を見下ろしている女性の虚脱感と
顛末の終局を表現している。
一方「雪解の」の方も「雫すれすれに」と時間をかけて丁寧に表現することで一粒々々の雪解雫の様子が
まるで焦点のぴたっと合った映像のように見えてくる。
どちらの例も七音が八音になる物理的な時間の長さが表現の効果を高めているように思われる。
このことは日本の短詩型にとっては存外重要な問題で、朗詠に一定以上のゆるやかな時間を
費やすべきであることと趣を同じくしているが、詳しくは別の機会に譲る。
また、
叩けども叩けども水鶏許されず 虚子
蛇穴を出てみれば周の天下なり 々
の二句については、「中七」の真ん中に大きな断絶があって、もともと五七五の感覚の薄い表現であった。
つまり一句目は「叩けども叩けども」と「水鶏許されず」。
二句目は「蛇穴を出てみれば」と「周の天下なり」の二つの塊が強く表現される中で、
結果として「中七」のリズム感覚が薄れてきていたのだ。
こうした構造が字余りを呼びやすいとは言えそうだ。
瓢箪の窓や人住まざるが如し 虚子
これは次回取り扱う予定の「下五」字余りの例。
同様にこれも「中七」中に大きな断絶がある。
しかも「下五」字余りがその断絶を強調している。 (つづく)

花鳥諷詠心得帖28
三、表現のいろいろ-5-
字余り(下五)
さて次は「下五」が字余りになる例。
これは虚子『五百句』中、「上五」三十八例、「中七」十六例、に比べて断然少ない九例である。
時代的な偏りも特には認められない。
前回既にご紹介した
瓢箪の窓や人住まざるがごとし 虚子
の句は、所謂「渡り句」で、始めから五七五の感覚は薄い。
「窓や」の「や」の切れが強烈で、仮に「瓢箪の窓や人住まぬがごとし」と十七音節に押し込めても、
定型の持つ安定感が得られるわけでもない。
しかも「ざる」を「ぬ」としてしまうと「ざる」にあったクラシックな感じ、漢文訓読調の醸し出す時代めいた気分が
阻害されてしまう。
瓢箪の生り下がっている小窓は、あたかも隠者の住まいのような気分を運んでくれる。
例えば『奥の細道』の福井の条、「ここに等栽と云ふ古き隠士あり(中略)あやしき小家に
夕顔・糸瓜の生えかかりて」云々を思い起こす読者もあるだろうが、ともかく「ざる」の字余りの効果は
確かにあるのだ。
この漢文訓読調に通じる硬質感という点では、
夏の月皿の林檎の紅を失す 虚子
この句など「紅失す」でも「紅消ゆる」でも良さそうな気もするのだが、作者はどこまでも「硬く硬く
言いたいに違いないのだ。
詞書に「大正七年七月八日 虚子庵小集。
芥川我鬼、久米三汀等来り共に句作」とあるのを読めばその辺りの作者の「気の張り」は想像に難くない。
漱石門の若き俊秀を迎えて虚子の高揚した気分は漢文訓読調でなければ表現出来なかったのだろう。
蛇逃げて我を見し眼の草に残る 虚子
有名な句だ。
先ほどの「紅を失す」にも言えるのだが「下五」字余りの場合も「下五」の直前に軽いポーズ、
「間」があるように思われる。
この句でも、「眼の」と「残る」は主述の関係で、そこに「間」が挟まるような言葉の関係ではないのだが、
実際に声に出して朗読してみると、「我を見し眼の」で軽くポーズがあって、「どうなったの?」
「何処へいったの?」という疑問を一旦読者の脳裏に浮かび上がらせて、しかる後に「草に残る」
と結末を伝えているのだ。
このことは
秋の灯に照らし出す仏皆観世音 虚子
でも言えるのだが、この句の場合は「仏」を「ぶつ」と訓むか「ほとけ」と訓むかで分類は異なってくる。
しかしいずれの場合であっても「間」の存在することは同じで、「皆観世音」の直前には恰も堂内を
ゆっくり見回しているようなポーズが存在する。
朝寒の老を追ひぬく朝な朝な 虚子
蜥蜴以下啓蟄の虫くさぐさなり 虚子
についてもほぼ同様のことが言えそうだ。
さらにこの二句の場合は「下五」に入ってフェルマータがかかる。